箱根2区、全日本8区、両区間での区間賞について

箱根駅伝のエース区間である2区と、全日本大学駅伝のエース区間である8区。

1990年以降、日本人でその両区間で区間賞を獲得した事のある選手や、惜しかった選手について語ります。

 

 

日本人で唯一の達成者 早大・渡辺選手

箱根2区と全日本8区の両方で区間賞を取る事は大学長距離界のエースの証と言えると思いますが、過去に達成しているのは、外国人留学生を含めれば7人いますが、日本人では90年代に活躍した早大の渡辺康幸選手1人だけです。

渡辺選手が卒業してから18年以上が経ちますが、いまだに日本人選手では2人目の達成者は出ていません。

駅伝オタクの私でも、渡辺選手以降に何人かいたような気がしていたのですが、調べてみたらいませんでした。

箱根2区か全日本8区か、どちらかで区間賞を取った事のある日本人選手は何人もいますが、両方となると難易度は格段に上がるようです。

 

日本人で唯一の達成者である渡辺選手は、3年生の時に全日本8区と箱根2区で区間賞を連取し、4年生の時にも同じように連取し、大学4年間で、両区間の区間賞を2コずつ獲得する離れ業をやってのけました。

同一シーズン内に両区間で区間賞を取っているのも凄い事です。

これは言い換えると、他の日本人選手が4シーズンかけても出来ない事を、渡辺選手は1シーズンでやってのけたと言う事になります。

それも2シーズン連続で。

しかも3年生の時は、両区間とも区間新記録での区間賞です。

卒業から18年以上が経っても、伝説の名選手として語られる事の多い渡辺選手ですが、その凄さは表面的な活躍以外にも、こういう細かい部分にも現れている気がします。

 

 

1番惜しかったのは山梨学大・中村選手

箱根2区と全日本8区のうち、片方で区間賞、もう片方で区間賞から1分未満の差の区間2位、という条件だと、不思議と因縁めいた5人の選手の名前が上がります。

最も惜しかった選手は、90年代に早大の最大のライバルだった山梨学大、その日本人エースだった中村祐二選手です。

中村選手は4年生の箱根で、2区の区間賞を取ります。

全日本8区の最高成績は2年生と4年生の時の区間2位で、特に2年生の時は区間賞まで8秒差でした。

この時に中村選手の区間賞を阻んだのが、早大の渡辺選手です。

渡辺選手がいなければ、中村選手は箱根2区全日本8区の両区間で区間賞を取った唯一の日本人選手になれました。

しかし、実際にその唯一の日本人選手になる渡辺選手本人に阻まれるという結果でした。

 

 

2番目と3番目に惜しかった選手は「紫紺のエース」

90年代末期から00年代初頭にかけて、駒大と順大は箱根で熾烈な優勝争いを繰り広げ、そのタスキの色から「紫紺対決」と言われましたが、紫紺対決時代が始まりかけた頃、駒大と順大に君臨していたエースがいました。

ライバル同士としても有名だった、駒大の藤田敦史選手と順大の三代直樹選手です。

この二人が2番目と3番目に惜しかった選手です。

 

藤田選手は4年生の時に、後方から追撃して来る山梨学大を抑えて、全日本初優勝のゴールへ飛び込み、自身も8区の区間賞を取りました。

藤田選手の箱根2区での最高成績は3年生の時の区間2位で、1位の早大の梅木選手までは24秒届きませんでした。

 

順大の三代選手は藤田選手とは逆に箱根2区で区間賞を取ります。4年生の時の箱根2区では、当時の区間新記録を出し区間賞を獲得します。

三代選手の全日本8区での最高成績は3年生の時の区間2位で、この時は1位の山梨学大のワチーラ選手まで26秒届きませんでした。

 

藤田選手は、かつて全日本インカレにあった種目のハーフマラソンで、3年生と4年生の時に2連覇を達成した「ロードの王者」でした。

対する三代選手は、4年生の時の全日本インカレでは、1万mと5千mの2冠を達成した「トラックの王者」でした。

実力・実績は互角、タイプは真逆。

そんな二人は、箱根2区と全日本8区で区間賞を獲得する、という部分で比較しても、やっぱり真逆で、それでいて同じくらい惜しかったという結果でした。

 

 

残る2人もまた「紫紺のエース対決」

残る2人は、紫紺対決真っ只中の時代、両チームを代表するエースだった順大の高橋謙介選手と、駒大の神屋伸行選手です。

ある意味、先輩の藤田選手と三代選手を超えるほどのライバル関係と言っても良いかも知れません。

両選手は同じ兵庫県出身で、高橋選手の方が1学年上ですが、高校時代からライバルチームに所属していました。

 

両選手は全日本の8区で区間賞を取った事があります。

神屋選手は2年生の時に、前を行く山梨学大を抜き去り、逆転優勝を達成し、自身も区間賞を取りました。

高橋選手も4年生の時に、最初から最後まで独走で優勝のゴールテープを切り、区間賞も取りました。

 

両選手の箱根2区の最高成績は区間2位で、これは同じ年の記録です。

高橋選手3年生、神屋選手2年生の時に迎えた箱根駅伝2000年大会の2区。

両選手は並んでタスキを受け取り、最後まで決着はつかず、並んで次の区間の選手にタスキを渡しました。

両選手は、区間賞を取った法大の坪田選手からは35秒遅れの区間2位タイでした。

結局2人は4番目タイで惜しかった選手という事になります。

 

 

その他

箱根2区か全日本8区の片方が区間賞で、片方が区間賞から1分以上の差で区間2位の選手だと、東海大の村澤選手と、順大の本川選手も該当し、やっと因縁めいていない選手の名前が登場する事になります。

また、片方が区間賞、片方が区間順位が3位以下で区間賞から1分未満の差という条件だと、早大の花田選手と、中大の藤原選手も該当します。

 

 

今年も10月になり、大学駅伝2014年〜2015年シーズンが開幕しますが、そろそろ箱根2区全日本8区の両区間を制する新しい日本人選手の誕生を期待したいです。

候補は、前シーズンの箱根で2区区間賞を獲得した早大の高田選手と、最強の走力を誇る駒大の村山選手でしょうか。

 

また、全日本のもう一つのエース区間である2区と、箱根の2区の両区間での区間賞獲得となると、こちらも日本人の達成者は早大・梅木選手、早大・竹澤選手、青学大・出岐選手の過去3人しかいません。

留学生で、全日本2区8区と箱根2区、すべてで区間賞を取った日大・ダニエル選手を含めても、過去4人だけの達成者しかおらず貴重です。

こちらも新しい達成者の登場を期待したいです。

 

 

「箱根駅伝の話」に戻る