火川勇気の過去話 詳細版

 

幼少期〜青春時代

横浜市の中で、川崎市に程近い鶴見区で生まれ育つ。

通っていた小学校ではクラスになじめず、大抵1人でいました。おとなしい性格の火川は軽いイジメの標的にされた事もありました。といってもたまに軽く小突き回されるくらいで大した物ではありません。

一度、朝クラスに入った瞬間に腹部に膝蹴りを食らってうずくまって動けなくなった事がありましたが、きつかったのはそれ1回くらいでした。そんな経験をした火川は元々集団が嫌いだった事もあって、ドンドン学校嫌いになっていきます。

騒いでいる男子連中が純粋に怖かったし嫌だった、というのも理由ではありますが、私自信が理屈っぽい性格もあって、学校が自分の人生になんの役に立つのか?学校に通うというのは人生の無駄ではないのか?と思うようになります。

小学校の6年の終わりごろにズル休みが続き、そのまま登校拒否になりました。

小学校の卒業式と、中学校の入学式は出たものの、後はほとんど登校拒否。結局中学校に通ったのはほんの数日だけ、自分のクラスではない小さな部屋に行って自習をしただけでした。

こんなんでも、なぜか中学校は卒業させてもらえました。

 

中学卒業後、当たり前ながら高校に進学する事はなく、弁当を製造する食品会社でアルバイトを始めます。

ここが良かった!周囲は40代〜50代の大人ばかりで、自分と同年代の人間が苦手だった私にはとても助かった。

黙々と作業をする性格の火川は、周囲からも貴重な戦力扱いされてしまい、居心地がすごく良い職場でした。

しかし、周りが全員大人というわけではなく、たまに若い人たちと作業をすることもありました。特に嫌だったのは若い女性でした。

火川は、人と話すのが嫌いな性格な上、あがり症もあったので、若い女性はなにより苦手。1度、若い女性相手に大恥をかいた事もありました。

それは、食品会社の資材置き場での出来事。

「火川くん、○○の置き場ってどこか知ってる?」女性に尋ねられました。その時火川がとった行動とは・・・

その場所を指差してそこじゃあ〜〜〜と言いました。

なんだこの間の抜けた響きは、と自分で思った。

女性はその場所から、目的の物を取ると、無言で去っていった。

そこにあるんじゃありませんか?」と言いたかった。

頭で思った通りに口が動かなかった。

当時の火川勇気は突然話しかけられると、本当にこんな風になってしまう男でした。

今でこそ笑い話だと思っているけど、当時は恥ずかしくてたまらず、メチャクチャ落ち込んだ。

食品会社はたまに辛い事もあったけど、基本的にはストレスのない毎日でした。

給料は趣味のアニメやマンガにつぎ込むことが出来たし、新しい趣味も発見したり(今も続いている陸上競技マニアになった頃でした)、個人的には中々楽しい10代でした。

世間じゃ私みたいな青春を送ると、灰色の青春とか言われるのでしょうけど、個人的には結構気に入っていた時代でした。

あっという間に時間が過ぎて、入社当時15歳だった火川はいつのまにやら20歳を迎えました。

世間では1990年代が終わり、ミレニアムと騒がれていた2000年代に突入しました。

 

 

20歳 人生の転機編

西暦2000年の正月。

正月の箱根駅伝で言えば、茶髪にサングラスをかけた格好で出場した法政大学の徳本選手が1区でぶっちぎった年、といえば陸上競技に詳しくない人でも、結構憶えている人もいるかもしれません。

そんな2000年の正月に、火川勇気に人生の転機が到来。

それは同窓会への参加でした。

学校に行ってなかった火川ですが、小学校5年生から中学卒業まで5年間、小さな塾には通っていました。

少人数制のアットホームな雰囲気の塾で、私でもなんとか通えました。学校は行かないのに、塾には行く、変な奴でした。

同窓会は学校ではなくその塾の同期で集まろうと言う物でした。

そして、その塾の同期には火川の初恋の女の子もいました。

塾に通っていた時は、その女の子と顔を合わすのが嫌でしょうがなかったけど、今回ばかりはそんな事は言ってられなかった。

真面目な話、人生で会うのはもう最後かもしれない。

そう考えると、「告白」という物をしなければ、一生後悔するのではないかと思ってしまいました。

 

参加した同窓会。中学の終わりに青森に引っ越した友人も同じ塾出身で、青森から神奈川まできて参加した。懐かしいメンツがそろう。

緊張しまくる火川でしたが、飲み会の後半、なけなしの勇気を振り絞った力(10%)、と酒の力(90%)で、告白する。

結果↓

「あの、火川くんの事そういう風に見た事なくて・・・」

女性を困らせただけに終わった初告白でした。

女性の前で泣いて、さらに困らせました。

その後1ヶ月くらいは突然涙がこみ上げてボロボロ泣いたりしていたけど、少し落ち着いた頃に突然心境の変化がありました。

急に、それまで感じていた、人生に対する怖さ、人と話が出来ない怖さ、慣れた今の職場を離れてもやっていけるのだろうかという怖さが薄らいだような気がしました。

今後の人生に何があっても、失恋より辛くはないだろうと思えるようになりました。火川は5年近くやっていた食品会社を辞めて、新しい世界へと踏み出す事を決めました!

 

ちょっと余談

食品会社を辞めてから半年以上無職状態でした。その間は何をやっていたのかと言うと、新しい世界に飛び込む前に、自分の頭のデキが不安だった火川は、能力開発なる物をやってみようと思い、本を速く読むNBS速読の教室に通ったり、右脳開発で有名な七田眞の能力開発の道具を取り寄せたりと、色々やっていました。効果は・・・、まあガチガチの左脳人間だったので、ほんのちょっと頭がやわらかくなったかな、というくらいでしたけど。

 

 

20歳〜24歳 あっちこっちでふられまくり編

5年間もやっていた食品会社を辞めて、新しい職場へと移った火川勇気。

その新しい職場とは食品会社でした。

結局、会社だけ変えて、同じ業種を選んでいた。イマイチ新しい世界に飛び込めない男でした。

いなり寿司を製造する機械なんて、以前の食品会社とまったく同じ物があった。

だが当然人間関係はガラっと変わり、新しい人間関係に揉まれる事になります。

そこで出会った5歳年上の女性に会社帰りに告白して付き合うことになる。いきなり彼女!とはいえ、この女性顔がかなり・・・。

申し訳ないが、異性として全く魅力は感じない人でした。ただ女性と付き合うという感覚が知りたくて付き合っただけでした。

川崎でデートしたりと、新鮮な経験は積めたけど、数ヶ月後にはお互いに連絡も取らなくなり、その後電話で別れを告げました。

その後は、1人上手く行って変な自信をもった火川は、「次は可愛い子、せめて普通の子と付き合って、今度はエッチな事をいっぱいするぞ!」と盛り上がりました。

色々バイトを変えつつ、主に仕事仲間の女性をあっちこっちで狙いました。

 

2001年秋〜2002年春 ドライアイスの製造工場

事務の女の子と一度一緒に帰り惚れる。

その後、彼氏がいると人伝いに聞き、ふられたと思い込んで、告白もしてないのに、「迷惑をかけてすみませんでした」と謝りに行ったという、突飛な行動を取った火川でした(アホ過ぎですね)。

 

2002年夏 川崎チネチッタの映画館で清掃の短期バイト

仕事仲間の集団からはずれてる20歳の女の子と仲良くなる。

一緒に仕事着のまま映画館に入り、中で私服に着替えて映画をタダ見したり、仕事を抜け出して2人でビールを飲んだり(1缶回し飲みで青春感じました!)、結構仲良くなったつもりだったのだけど、結局ふられました。髪を切ってもらっている美容師が好きとかで。

その後「中途半端に仲良くしてごめんなさい」とトドメのメールをもらいました。失恋で泣いた2度目の体験・・・

(追記・実をいうと、「美容師とはなんでもないよ」とメールをもらい、大喜びで会いに行き、またフラれて、トドメのメールをもらったのはその後だったりします。女の子残酷すぎ・・・)

 

2002年年末 花王の工場

短期バイト仲間だった女の子に告白してふられました。

 

2003年春〜秋 レストランでウェイター

仕事仲間の30代の色っぽいお姉さんに惚れてちょっと仲良くなる。しかし、その彼氏から「あんたが火川って人?ウザがってるんだけど!」と怒りの電話をもらいました。

↑のお姉さんの数ヶ月後、同じレストランで、仕事仲間の女子大生に惚れて、アドレスを教わったが、メールは無視されてしまいました。

 

2003年秋〜2004年秋 いすず自動車の工場+夜学の高校

出稼ぎの外国人も多い職場で、ペルー人の30代女性(日本語ペラペラ)相手に、スペイン語を教えて欲しいと頼んで仲良くなったが、結局ふられる。

日本人の20代女性と社外でお茶を飲んだけど、それっきりメールも無視される。

先輩から紹介してもらったフィリピン人の20代女性にふられる。

3ヶ国の女性から3タテを食らいつつ、時期を同じくして通っていた夜学の高校では、15歳の女子高生に恋してふられ、その後16歳の女子高生に恋してふられました。

 

下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、と思いきや、全然当たらず数年が経過しました。

結局風俗でしか女を知らず、その風俗にもずいぶんと行っていなかった。

初恋の女の子にふられたちょっと後に、風俗に通いまくった事はあったけど、それ以降は風俗にすらほとんど行っていない状態でした。

女が欲しい。マジで欲しい。人生で1番欲しいもの、それは女だ!と即答できる時期でした。

この20代前半は自転車やバイクで旅をする事に目覚めたり、歌を唄う事に目覚めたりと、新しい趣味も見つけて、女性関係以外では中々充実した時期でした。

しかし、1番肝心な物だけはどうにもなりませんでした。

そんな時、ふられ続けの火川の人生に、衝撃的な出来事がおこりました。

 

 

24歳 素人童貞脱出編

ある意味、私にとって人生の転機第2弾と言っても良い衝撃的な出来事でした。

2004年8月13日の出来事です(記念に日付メモッてた)。

きっかけは、ネットで見つけたわかめさんという方の、「テレコミで出逢った女たち」というテレクラ体験記でした。

それを見てテレクラに興味をもった火川勇気。どうせ数千円の出費だし、ダメで元々のつもりで、テレクラに行きました。

すると、電話で話をした女性といきなり会うことに。

めちゃくちゃ緊張していた私は、なぜそんな流れになったのかはよく憶えていません。

雑談の中で、女性が「ナンジャタウン」がどうとか、と言っていたのは憶えているのだけど。

ナンジャタウンがどうとかと言っていたその女性は、渋谷にいるというので、「一緒にナンジャタウン行きましょうよ、渋谷まで会いに行きますよ」と言って、「渋谷にナンジャタウンはないよ」と返されたのも憶えている。

本当に会話の中で憶えているのはこれくらいでした。それほど緊張しまくった事でした。

確か、「会って話がしたいですよ」、と何度か粘ったらOKしてくれたという展開だったと思います。

 

渋谷の待ち合わせ場所でその女性と会いました。その女性は渋谷の町に全く合わない地味な服装をしていて、30代後半くらいの歳で顔もあまり良くない人でした。正直に言って、ルックスレベルの低い人でした。

だけど火川勇気はめちゃくちゃ興奮しました。もしかしたら、この人がセックスをさせてくれるのかもしれないのです。あのお金を払わないと出来ないあの行為を!

カラオケ屋に誘い、唄った後、「ホテルに行きましょうよ」とそのまま言ってみたけど、拒否されてしまいました。

カラオケ屋を出て、街を歩き、どういう店に入れば良いのかまったくわからず、また別のカラオケ屋に入りました。

「エッチしましょうよ」と誘って拒否され、また店を出て街を歩き回りました。女性をどう口説いて良いのか全くわかりませんでした。

女性はお腹が空いたというので、どんぶり屋でマグロ丼をおごりました。急に女性は機嫌が良くなり、ラブホテルの方向に連れて行っても拒否がなくなりました。

ホテルの前で女性がこんな事を言いました、「このホテルはショートコースがあるんだよ」と、私は答えました「ショートコースって珍しいね。入ろうよ」、手を引っ張ってホテルに入り、火川勇気は素人童貞を卒業しました。

なんで上手く行ったのかわからないし、そもそもなんで会ってくれたのかもわかりませんでした。

でも、女性は会うときは会ってくれるし、させてくれる時はさせてくれました。

この女性のルックスはお世辞にも良くはなかったけど、それでも本当に嬉しかった。

女に受け入れて欲しいという精神的な欲求と、女体が欲しいという肉体的な欲求、何年もの間欲しくてたまらなかったその2つの欲求が満たされて、男としてやっと認められたような感覚でした。

 

 

25歳〜30歳目前 ナンパワールド突入前夜編

大検を取得した事もあって、通っていた夜学の高校を自主退学し、専門学校に入った火川勇気。

午前中は授業、午後はアルバイトで学費を稼ぐという日々が続きました。

専門学校ではやっぱり周囲になじめず。多少は成長したつもりだったけど、大して変わってなかったという事実を突きつけられただけでした。

専門学校ではなにより嫌だったのは、1時間目の授業が終わった後の休み時間。周囲がワっと騒ぎ出すあの感覚が嫌でした。

図書室で読みたくもない本を読んで時間をつぶして、苦手な休み時間をやり過ごしました。

専門学校は3年間。息苦しい学校生活+夜までアルバイトという生活が続きました。

だけど、この時期の火川には夢がありました!

それはバイクで北海道に行く事!

以前にも日本一周の時にバイクで行った事のある北海道。いつか再び北海道へバイクで行く、それが夢でした。

それも、日本一周の時の古いバイクではなく、カッコイイ憧れのバイクで!

 

ホンダMF06 フォルツァ

FORZA.JPG - 51,542BYTES

アニメオタク魂にグッとくるこのデザイン!

 

その憧れのバイクはすでに購入していて、通勤通学で酷使していました。走行距離はすでに40000キロを突破。地球1周分でした。

これでは夢の北海道に行く前に壊れてしまう・・・そこで、3年生の夏休みにアルバイトを辞めて北海道へと旅立つ、という予定を立てました。

勉強と仕事の毎日は苦しかったけど、「北海道まで後1年!」、「北海道まで後11ヶ月!」と、夢へのカウントダウンが苦しさを忘れさせてくれました。

そして、2008年夏、夢の北海道へ行きました!

5年ぶりの北海道への上陸です。かっこいいバイクでついに夢の大地へ行きました!

そして、泣いて帰ってきました!

 

北海道上陸3日目の事でした。バイクのジェネレーター(発電する部品)が故障。走行不能になりました。

レッカー移動代と修理代に10万円を要し、修理期間は1週間もかかりました。

直ると同時にとんぼ返りでした。

帰路につぶやく火川勇気、「これが5年越しの俺の夢?っていうかこれは夢?」。

いや現実でした。

本当に現実感がなかった。本気で泣いたけど、涙がこみ上げてきたのは少し時間が過ぎた頃でした。

 

バイク以前に私自身の問題もありました。

以前日本一周の旅をしていた時は、宿で泊まり合わせた初対面のバイク乗りと旅談義をしたりできました。それなのに、今回は私と同じフォルツァで旅をしている人を目撃しても話しかけることが出来なかった。

20代前半である程度は克服したと思っていた私の内気グセは、時間と共に徐々に復活していました。

 

バイクの修理期間、札幌の街で過ごした1週間は辛かった。

重いリュックサックをかついで汗だくになって行くあてもなく街を歩く。

途中からは歩く気力もなくなり、昼は本屋やブックオフで立ち読みして時間を潰して、夜は寝床にしていたネットカフェに逃げ込む。

その繰り返し。

ネットカフェの鏡に映る、夢に破れた男の目は死んでいた。何も気力がわかず、何をして良いのかもわからない状態でした。

街を歩く時にすれ違う札幌の女性達はとても美しく、小汚い格好と死んだ目で街をうろつく、夢に敗れた男には、あまりにもまぶしく感じました。

そのコントラストが強烈過ぎて、札幌で過ごした1週間は心に焼きついてしまった感じでした。

 

関東に戻った後、火川はバイク便のライダーという仕事につきます。

仕事の内容は単純で、同じ場所を行ったり来たりするだけの定期便の仕事でした。

単純な仕事をしていると、仕事中にもどうしても思い出してしまい、考えてしまいました。夢の北海道がなんであんなに辛かったんだと。俺は今後どうすれば良いんだろうかと。

何ヶ月も悩んで、2009年に入ってからしばらくが経ち、やっと答えが出ました。

情熱が足りなかった!覚悟が足りなかった!ようするに気合いがなかっただけなんだと。

気合いさえあれば、バイクの修理期間を過ごした札幌での1週間だって、もうちょっとはマシになっていたはず。

気合いを入れて生きるために人生の目標を持とうと思いました。

何を目標にすべきか?

自分の今までの経験で熱くなれた事や好きな事を考えると、真っ先に浮かんだのは、やっぱりテレクラに初めて行って、素人童貞を脱出したあの出来事でした。

その次に浮かんだのは旅でした。

つまり女1番、旅2番。

だったら話は早いです。旅をしながらテレクラや出会い系サイトを使って、全国で女性と会う。全国で女性をゲットする、それを人生の目標にしようと思いました。

あまりに非常識で恥知らずな目標でした。

だったら開き直ってついでにナンパもしてやろうと、ナンパも手段の1つに加えようとしたのが2009年の夏頃でした。

開き直ると急に人生がイキイキしてきた気がしました。

だけど、開き直ったつもりでも、地元でナンパの第1歩目は踏み出す事はできませんでした。ナンパ怖すぎ!

そんな時にふとカレンダーを見ると、9月なのに長い連休を発見しました。

2009年の9月には、数年に1度しか訪れないシルバーウィークと呼ばれる連休がありました。

「これは旅先でやるしかない!」と思い立ち、このHPの最初のナンパ旅行体験談につながるのでした。

 

 

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