4区と5区のコース変更について思うこと
ついに関東学連が4区と5区の距離変更について検討を開始すると発表しました。
3年以内との事で早ければ17年大会からになるとの事です。
私は5区短縮にはもちろん大賛成です。
それは5区のブレーキや途中棄権をなくして欲しい事と、4区を準エース区間に戻して欲しいからです。
しかし、5区の比重が高過ぎるからというのはちょっと適当な理由とは違う気がします。
2.5kmの距離延長がされた06年以降、逆転劇が多発していますが、逆転した選手はゴールの2km余り手前にある元箱根の定点ですでにトップになっています。
元箱根と芦ノ湖での1位と2位のタイム差です。
06年 元箱根30秒 芦ノ湖30秒
07年 1分13秒 1分42秒
08年 49秒 1分14秒
09年 0秒 22秒
10年 3分30秒 3分36秒
11年 26秒 27秒
13年 1分29秒 2分35秒
15年 4分24秒 4分59秒
13年大会の日体大・服部選手の逆転劇のように、ラスト2kmで一気に差を開くケースもあるにはありますが、あまり変わらないケースも多いです。
つまり、2kmちょっとを縮めて、05年までの5区の距離に戻しても、結局は山の神の破壊力はそれほど変わらないかと思います。
5区の比重が高過ぎるから短くするというのは、焼け石に水かと思います。
しかし、だからと言って5 区の距離を10km縮めるなどの極端な変更にも反対です。
小田原中継所の位置は以前と同じ場所に戻して欲しいと思います。
もう丸10年前、06年大会から4区と5区が新コースになると聞いた時には残念でなりませんでした。
4区の駒大・藤田選手の区間記録60分56秒が消えてしまい、さらに5区の順大・今井選手の69分12秒なんて、記録を出した1年後であり、まだ誰もこの記録に挑んですらいないのに消えてしまう。
その6年前の00年大会では5区と6区が微妙に変更され、5区の早大・小林選手の70分27秒と、6区神奈川大・中澤選手の58分06秒も消えてしまいました。
破るのは難しい大記録が、誰にも超えられないまま次々に消えていく事に、駅伝記録オタクとして歯痒さを感じていました。
中澤選手のタイムなんて、16年も経った現在でも超える選手は一人も出ていません。
しかし、現在6区を走る選手たちに、中澤選手のタイムを目標にしている選手がどれだけいるのでしょうか。
その中澤選手の記録もまた、破られずに消えていった80年代の日体大・谷口選手の記録と比べると、どちらが上なのか判断の難しいところです。
事実上の最高記録であっても、正式な区間記録として残さなければ、結局は歴史の中に埋もれてしまうのです。
昨年青学大・神野選手が5区で出した記録は、まだ次の大会でどうなるかわかりませんが、恐らくは破るのは難しいでしょう。
結局はまた大記録が破られないまま消えていく事になりそうです。
新しい小田原中継所の位置はまだ未定のようですが、是非とも05年までの場所にして欲しいと思います。
そうすれば、5区の今井選手の記録については、昨年の函嶺洞門迂回の変更もあり、もう復活する事はありませんが、4区の藤田選手の記録は蘇る事になります。
後にマラソン日本記録保持者になる藤田選手の記録が復活するならば、学生選手達の最高の目標になるはずです。
そしてそれ以降は止むを得ない事情を除いて、コース変更はしないでもらいたいです。
まだ5区で勝負が決まっちゃうからさらに短くしよう、とかそういう事にならないようにして欲しいです。
全日本大学駅伝は四半世紀に渡ってコース変更も距離表示変更も全くありませんが、関東学連も同じように伝統や過去の記録を尊重しながら運営して欲しいと思います。